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自由を重視する社会のルール―リベラルとは何か。

朝日新聞11面は法政大学の犬塚元氏の論説を報道している。「自由のこれから」という平野啓一郎の著作の論評の体裁をとっている。

 

リベラリズムは実にいろいろな文脈で使用される。筆者は、2軸を作り、人権を尊重するA―人権を侵害するB、経済を放任するC―経済Dを規制するに分けて、ACが元来のリベラルでリバタリアニズムと呼ばれるもの、ADが福祉国家的(政府による自由)リベラル、BCが保守(コンサバティブ)、BDが権威主義(オーソラティズム)という切り口で説明することが多い。

 

これに対して佐藤優は、A効率主義、B人命至上主義、C個人主義の調和の観点から説明をしていたことがあった。

立憲民主党は、A下からの民主主義、B上からの民主主義、C左派、D右派があると指摘していたように思われる。

論説は、日本におけるリベラルいうのは、「手垢」がつきすぎていると指摘する。たしかに、リベラルは元来は見るの危害原理に由来している。筆者も学生時代、色々なことに悩まされてきたがミルの「自由論」を読んだとき、他人に危害を加えない限りすべて自由、という自由の気概に触れた。本来、リベラリズムの原点は、この点にある。例えば、髪の毛が茶髪か黒髪か、くだらない論争があるがミルの危害原理によれば、茶髪だとしても直ちに他人に危害を加える具体的恐れがあるわけではない。したがって、いかに地毛証明書の類が下らないものであることが分かる。

 

本来、リベラルというのは、日本国憲法そのものがリベラリズムという特定の価値観に立脚しているように、社会と個人の調和を図るルールといえる。自民党であればコンサバティブである必要もないし、社民党の主張や共産党の主張がリベラリズムとは到底いえない。

 

犬塚は、A個人の自由、B自己決定、C個人の尊厳として説明しているようである。筆者も含め、論者によって説明の仕方が変わることもわかりにくい。

 

リベラリズムは自由を本懐とする。その本質は、「権力からの自由」であった。政治権力や世間から干渉されない個人の自由である。

近時は、多様な価値観を包含する懐の深い慈愛に満ちた考え方ともいえよう。いじめ、ハラスメント、過労死、医療過誤など、学校、労働、医療の現場を正してきたのはリベラリズムなのである。権力者や為政者の側からは耳の痛い指摘も多いが、説明概念に捕らわれず述べれば、リベラリズムが重視するのは個人の自由、自己決定、人間の尊厳、価値観の多様性であり、これらはバラバラと批判的にとらえるのではなく、立場を超えて共有されるべき価値観なのである。そういう意味で、リベラリズムという特定の価値観に基づいた日本国憲法の名を名乗る政党が現れたということは、リベラリズムの危機を迎えていると考えなければならない。

 

最近、タクシーに乗ると、小型毎日タクシー社は顧客の顔を真正面から無断で承諾なく撮影している。こういう危害も与えていないにもかかわらず干渉されることからの自由がリベラリズムなのである。

しかし、リベラルがなぜ危機に迎えたのか。それは、元来のリベラリズムと無関係の「護憲」とか、「平和主義」とか、「戦争放棄」とか、の「手垢」がついたからに他ならない。こういうことを書くと、立憲民主党の説明でいうと、まず、右からリベラルは護憲派だと攻撃を受ける。そして、左からは改憲を唱えたり安保法制を承認する者はリベラルではないと攻撃される。しかし、右派左派の対立で世の中を論ずる時代は終焉を迎えたというべきであろう。上からの民主主義からすれば、「国の規則を守らないと福祉国家的リベラルのベネフィットは渡しません」となる。それは、ときに、学校、労働、いのちの現場などでの不具合に口をつむりなさいというの等価となる場合もある。だから「忖度」ということになるのではないか。

 

立憲民主主義というのは、元来、ミルが唱えていたリベラリズムにも近いものも感じる。いや、本来は違うのだが、日本では、これくらいラジカルにいわなくてはいけないのだと最近感じている。繰り返し述べたい。リベラルの本質は、他人に危害を加えなければ自由ということである。これを19世紀的国家観という。保守派でも戦争賛成、憲法9条改正無条件で賛成という人は少ないのではないか。護憲とか、平和主義とかは、リベラリズムとは関係がない。私は改憲派だから、私は、国際政治においては武装も必要、自衛隊を明記することは必要である、と考えていたと仮にしても、だから政治の世界からリベラルが失われることの痛手は大きい。リベラルが失われるというのは、いじめ、ハラスメント、過労死、医療過誤などを正そうとする勢力も一緒に爆死してしまうことだ。

 

その意味で、リベラルと護憲、平和主義、改憲をごちゃまぜにしていた政党が退潮したことは幸いとはいえ、自民党はさっそく、これまで与党は総務会での法案事前審査に相当時間を割いていることから、与党2:野党8の国会の質問時間を5:5にするという。原理原則からいくとそのとおりなのであるが、リベラリズムは実質的公平を好む。「自由のこれから」を考えてみたい。

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